子供に恋人が出来たSS

「なあ、一星、女臭い」

「え?」

 

 久し振りに会った旧友、西蔭にそう言われた深夜、とある都内のバー。

 

 俺はプロのサッカー選手として華々しく活躍していたが直ぐに引退し、観客の目に飽き飽きしていたので都内だがひっそりとした製薬会社に勤めることになった。そんなとき、26歳という歳でなんと小学生の女の子を育てることになったのだ。詳細は割愛するが、親戚の夫婦が子供を残して災害で他界した経緯があって、自分に置き換え心痛めた俺が変わりの親になったという訳だった。良くある悲劇...ではないが、俺を取り巻く環境ではこういったものが多かった。自分含め。

 少女は旧姓、伊藤。伊藤秋尾という名であった。そして一星秋尾になったのだが、己よりも男性的な名である為に、役所の申請などでは少女の方が「ひかるちゃん」と呼ばれることも屡々、「ひかるちゃん」は父の方だと分かると気まずい空気になり終わる。

 子供を連れ帰って来たことの日は鮮明に覚えていた。夫婦揃って地味な顔立ちであった様な気がするのにも関わらず秋尾は目鼻立ちしっかりした子供だと思った記憶があった。所謂美形な子供という言い方があるかもしれないが、もしかしたら多重の苦痛や悲劇から生まれた子供らしくない影がそうさせていたのかしれない。家まで車で移動してる間も口は利かず、ただひたすらぼんやり外を見詰めているばかりだった。身体が思ったより汚く、乱れた髪を綺麗にしなくてはという一心でゴシゴシ身体を洗い風呂に入れた。

 なんやかんや製薬会社といってもただの営業ではあったので、きちんと秋尾の為に時間は取れていたし、野坂さんや西蔭さんの協力もあったのでなんとか苦難有りとも切り抜けてきた。

 

「えって何だ。お前、年頃の女の子居るんだから」

「だから?」

 西蔭ははぁ、とでかい溜め息をしながらダンヒルの、野坂と同じデザインのでガスライターで煙草に火を着ける。

「だからじゃない。そういう、雌の匂いつけて帰ってくる父親ってどうなんだ」

 最初のたっぷり吸った一服を存分に俺の胸に垂らしながら言う。そういうとこ、仕草、本当にこの人と野坂って似ているなあと思った。お揃いの拘りのガスライターとか(女子か!)

「うーん、俺別にもう女とは寝て無いけど」

「はぁ」

「はい」

 西蔭は俺の首やら頭やらに鼻を寄せる。

「西蔭さん!?」

 獣のように唸りながら、腕、手と嗅ぐ。

「手だ」

「手?」

「お前、何処かの商売女の下弄くり回したのか?」

「してないですよ!」

「でもお前の手、匂うぞ」

 俺は冷たい汗をかきながら自分の手を鼻に持っていく。酸えた菊のような湿度を感じる匂い。それと同時に、父さん、、父 ぅ さんと甘ったるい秋尾の声も聞こえた。ギクリとして出てきた唾液がまるで秋尾の首筋に垂れた汗を舐めたときの様に甘じょっぱく感じられた。俺は気を確かに持つ為にバーボンロックを舐めた。

 

「秋尾ー!今日もアルバイト?」

「うん。だから先帰ってて~」

「真面目だねえ、片親っても父親はあの一星選手でしょ?なんでそんなにお金貯める必要あるの?」

「うん...」

 友達のケイは、踏み込んではいけないか、と諦めたようにじゃーねーまた明日!と言って教室から出ていった。

 

「今日も遅いね」

「ただいま。金曜は客で毎回混むんだよ」

「なあ、欲しい物があるんだったら何でも買ってあげるぞ」

「ダメだってば」

 欲しい物の為なんかじゃないし。

「お小遣い足りないならあげるから」

「いいって」

「じゃあ何なんだよぅ」

 手を洗う私の方を見て傷付いたような顔で、暗い廊下から見ている。

「あ!土曜暇か?久し振りに車で出掛けないか」

「父さん、明日は彼氏とデートだってば」

「...」

 父さんは明らかに嫌そうな顔をする。野球部のエースである櫛田青豊君。私の彼氏が気に入らないのだ。父さんが買ってきた、無花果の香りのハンドソープが妙に鼻に突く。

「じゃあシャワー入るから出てってね」

 そう言い放つと父は怨霊のように音もなく廊下の暗闇に溶けて行く。私と同じ、彗星の星屑の様な目だけは爛々としながら。

 このように、新しい私の父は、私の事に酷く執着して、回りの人間を追い払おうとするのだ。

 

「もしかして、お前」

 ゾーッとしたような面持ちで西蔭に見られてしまい、俺はこんな人におぞましいと感じさせるとはもうダメだなった思った。

「もしかしてって何ですか」

 俺は少し拗ねたように言う。西蔭は暗い目をして煙草をまた深く吸う。バニラの甘ったるさが嫌に頭をぼうっとさせた。

「...親子だろ?」

 意を決したように言われた。俺は灰皿の隣に置いてあった西蔭の煙草1本とダンヒルを奪い取り、さっきの西蔭のように深く、ニコチンとバニラの煙を吸った。口から出た紫煙はまるで煙突のように上へ立ち上る。

「血は繋がっていません」

「...」

「それに、別に入れた訳じゃない」

「...」

「秋尾は俺の全部だから、だから...」

「一星、お前は本気で言ってるのか?」

「は」

 怒りなのか分からないけど、西蔭は明らかに不機嫌そうだし、着けたばかりの煙草を美しいガラス細工の灰皿で揉み消した。

 

 

 一度だけ狸寝入りをしていたことがあった。

 その日は部活で疲れきっていて、シャワーを浴びた後すぐにベッドで寝てしまっていた。ぼんやりと目覚めたら時計は深夜12時頃を指していて、喉の乾きから一旦起きようとしていた。そしたら、誰かが音も無く、私の部屋に入ってきたのを感じて、私の覚醒しきってない頭ではきっと父が脱ぎ散らした服でも回収しに来たか、こっそりテストの点数でも見に来たのだろうと思っていた。しかし違った。

 父は立ち去る気配も見せずに、ただ私のベッドの前に立っていただけだった。私は特に何でもないことだと思っていて、そのまま、また眠りの世界に入ろうとしかけていた。そんなとき足が動物に齧られてるような感覚で起こされ、履いていたパンツがゆっくり脱がされる感覚を頭の中で見ていた。

「あきお...」

 私は今、父にされていることに困惑と驚愕を強く感じていたが、愚かなことだが、昔から何事も強く堪え忍ぶ癖があり、飛び起きるなど出来ることもなく、ただ寝ている振りを続けていた。妹とは本当は血が繋がってないと分かったとき。母親が冷たいとき。授業参観に来てくれなかったとき。''家族''旅行に行ったとき。家に帰りたくなくて、河川敷でボンヤリと暗くなるまでいたとき。あの日、父の血を被り、母と下の妹が瓦礫に挟まりながら炎に焼かれ、悲鳴を上げているのをただ見ていることしか出来なかった様に。

 そのときの砂ぼこりと、火の熱さと、血と汗の酸っぱくて、苦い匂いが掠めながら、一星光の情欲をただ受け入れることしか出来なかった。

 

 

「一星気付いてるだろ?あの子はあの人の子供だって」

「...」

「そうなると、偶然にも、お前が本当の父親ということになる」

「...」

「聞いてるのか?」

「あの人は死んだはず!」

「さぁなぁ。お前から逃げたかったからかもしれないぞ?今の世なんか死の偽装なんて簡単だろうよ」

「...」

 俺はまた煙草を深く吸う。バーボンも呷る。

「やっぱりそうだったんですね」

「なら、何でそんなこと」

「嫌だな西蔭さん。血が繋がってるって凄いことだと思います」

「は?」

「俺は、兄のことが大好きで大好きだったけど、何よりも、あの人と血が繋がっているという事実がなによりも救いだ」

「...」

「それは絆だ。何にも介されることなく邪魔立てするものも無く、固い繋がりだと思います」

 西蔭は嫌なものを見るように目を神経質そうに細める。

「一星、お前」

「親子で恋人って素敵じゃないですか?西蔭さん。秋尾、俺だけの娘」

 

 西蔭は何となくスコッチウイスキーを舐める。

 この男、普通の男と見せ掛けてやっぱりあの出来事から着実に心を壊し、狂っていたのだ。血の宴で酔ったように危ない酩酊を孕んだ目をして愛娘について語る。西蔭はあーもー俺しーらないっというスタイルに戻り、一人ボンヤリと煙草の煙を見ている。おそロシア