希死念慮爆発すると物捨てがち

満たされ無さの正体

ああもう死んでしまおうと本腰入れると何故か物を捨ててしまうんだけど至極真っ当なことだと思っている。あんまり衝動的な人間ではなくて大体計画するのが好きだから自殺にもそれが発動するんだと思う。特にツイッターアカウントとか二次創作落書きとかそういうの、、、死にたさ爆発する度にツイッター消しとるわ だって嫌じゃん○○の友人ですが○○は亡くなりました、、、みたいなツイートを己のアカウントでされるの、、死んでも尚恥を曝さないでくれーって感じ。だから定期的に身元整理してるからノルウェーの囚人の部屋みたいになってるしそれがベストだと思ってる。自分がそう満足してる。物好きで、金で買える幸福だと思ってるから欲しいもの手に入れたいと思ってるし、人間に愛されるより物を愛してるほうがクリーンで楽。でもそんなことは思いつつ、欲望を持たなければ満たされないということは無いという考えも尊重したい。

四捨五入するとほとんどゴミに感じてしまうし、本当に欲しいものは少ないし必要なものも少しで足りる 後者はそれのほうが心が楽だからというのもある。心が楽なほうがいい ってなんかメモに書いてあった。まじそーーーーーれってかんじなんだけど結局何も持ちたくないという精神大事なんだけど私にとってある程度、香水とか集めて笑ってるというぐらいが健康的でいいんじゃないかなって思う、、、支離滅裂。

いやだってあらゆるものが欲しくなっても金は有限じゃん。だから全部を欲しくなってもしょうがないし、長い目で見ると何も持ってないほうが責任と同じく心が楽なんだよねみたいな、、、、やっとここには金掛けるけどここは拘んないし、極力持たないという線引きが出来るようになって、というか無駄な欲望が無くなって楽に近付けたと思う。成長じゃん。

頭の中で全てを管理しようとするから苦しくなるんだよな、だからこうやってブログに書くようになったんだが。書いて、忘れたい。そんで必要なときに見返したい。そんなかんじ。

何時だって己の快楽のままに、享楽的に過ごしたいと思ってて、そこで欲望を糧に生きようとするのは同じなんだけどベクトルを変えられたような気がする。成長じゃん。

 

そういう考えの中の私のお洒落について

元から華美というか顔が派手だから地味目ばっか着てたんだけど最近吹っ切れて可愛いワンピースとかもきるようになった、方だと思う。派手な方が話しかけられないしね、、、でも服は極力持ちたくないものの1つなので 楽、似合う、耐久性、とか重視にしてる。パンツはほぼジーンズ生地なのは伸び縮みするので体重のアップダウンに左右されないからというのがある。ジーンズってカジュアルになっちゃうけど化粧濃くしたりアクセサリーつけるから大丈夫、、、

あと極力金を掛けずに綺麗になるっていうので私は美醜に拘らないというのがあるな。そういうの言葉で言っても分からんだろうし私は理解してるから割愛する。姿勢を正すとかに似てる(自戒)

金を掛けずに綺麗になりたいという感覚は普通だと思ってるのでここら辺追求していきたいよね。日本人の女は無意識にやっていることだけど清潔でいるというのも一種のお洒落なんだよな。そういうとこも大事にしたい。なんだかんだ服には執着が無いので良い匂いの石鹸で身を綺麗にしてお気に入りの香水吹き掛けててきとーな服着てって具合がちょうど良いような気もする。楽だし。

お洒落って私の中で生きる糧みたいなとこがあって、有限である金の中、一番楽しくなれるみたいになれるように己の中に哲学を持つって大事だと思うんだけどお洒落に関わらずそういうの大事だよなーと日々思う。哲学を持つにはまず知識がなければならないし、それらを身に付けていくことで生きるのが楽しくなる。そして哲学が身に付くと思う。やっぱ勉強って大事やー嫌いだけどー!...